日々子どもの前に立つ私たち教師への警鐘ともいえる小論「子どもは生きているか」(今井 鑑三遺稿集「子どもが生きているか」P7)の中で、今井鑑三先生は、「子どもを生かす授業 は、子どもが生きている証しを表出するものである」と述べておられる。
今井先生の言われる通り、授業というものは、教師が「子どもを生かす場」である。しかし、 それは、教師自身の願いを実現させるために、教師の都合で、将棋のコマのように、子どもたちを使う場ではない。先生の言われた「子どもを生かす」場とは、一人一人の子どもが自らの 「生きている証し」を表出できるような場でなければならない。それによって、子どもたち一人一人が、自分を見つめていくことのできる場であり、自分の願いを実現していくことのできる場なのである。まさに、「子どもが生きる」場である。
これまで幾度となく指導要領が改訂され、その度に授業改革が叫ばれてはきたが、相変わらず、教師の願い実現のために子どもを振り回し、「一問一答」型に終始する授業は、教育現場 を横行している。国語教師「竹の会」が目指す「子どもの生きる授業の改善」という取り組み は、このような教育現場の授業状況を見直し、どこまでも子どもの側に立った授業づくりの在り方を模索してきたものである。
ここで述べていく国語教育に関わる諸「断想」は、以上のような立場で取り組んできた私の 教師生活や「竹の会」での活動、さらにさまざまな学校の授業研究会での活動等において、折々に考えてきたことや述べてきたことを思い出し、思いつくままに書き連ねていくものである。
まさに断想、いつまで続くか分からないが、それも含めて気楽に書いていこうと思う。
代表 川端 建治